私には「人を誘う」という概念がない。
例えばちょっと旅行にでも行きたいなと思った場合、「あの子を誘ってみよう!」っていう考えにならないのだ。
「一人泊まれるプランがある宿を探して、新幹線も手配しなきゃ!」
もう最初から、一人で行くことが前提となっている。買い物もひとり、お出かけもひとり、劇団ひとり……とにかくひとり。
ひとりは気楽だ。人と一緒に買い物をしてても、気を使ってしまい好きなお店でゆっくりと見ることもできない。
ひとりがいいけどひとりにしないで!(めんどくさい)
とはいえ、ずっとひとりがいいかといえば、それはそれで寂しい。
私は引きこもっていた時期もあり、そのせいで人との交流が全くなくなってしまったことがある(今もあまり変わってないが)。
そんな時は、やっぱり人恋しくなる。「それじゃあ自分から誘えばいいじゃないの?」そんなことを言われそうだが、それが怖い。
「断られたらどうしよう」
そんな言葉が、誘うよりも前によぎる。
このようなタイプの人間は断られた場合、勝手に全否定された気分になってしまうのだ。ただ都合が悪かったり、あまり乗り気じゃない。断られる場合の理由は大半がそれだけのこと。
しかし断られた当人にとってはそれが「世界の終わり」くらいに受け取ってしまう。
断られるのが嫌だから誘わない
だったらどうすればいいか? そう、誘わなければいい。
最初から誘わなければ、断られることはない。傷付くことないのだ。「世界の終わり」を感じずにいられる。
いわゆる「逃げ癖」のひとつなのだろう。
「誘えない人」が人と遊びに行く時は、「誘われた時」だけ。しかし待っているだけでは、「誘われる機会」もなくなっていく。
会社で「この後どう?」なら気楽に誘われたりもするだろうが、それ以外の繋がりはお互いに連絡を取り合うことでしか継続ができない。
そこで増えていく「疎遠」。私は疎遠だらけ。プロの疎遠屋。ええ、友達、少ないです。
「人を誘えない人」はこれからどうすればいいのか?
仕方ない!(開き直り)
ひとりで行動できることに自信を持つ
まずひとりで行動できることに、自信を持つ。
人とどこかへ行くの好きな人の一部には、けっこういい年になってもひとりでカフェさえ入れない人もいるのだ。
どっちがいいってことはないが、ひとりで気軽にどこへでも行けるのはある意味「行動力がある」といい方に考えておこう。
疎遠でも大切ならつながっている
そして「誘えない」のは、そのままでいいだろう。無理やりリア充になろうとしても、つらいだけだ。
疎遠の理由は、お互いの忙しさやら環境の変化やらさまざま。本当に大切な人とは、しばらく会えなくてもどこかでつながっているものだ。
逆に疎遠になっても別になにも思わない人は、それだけの関係だったということなのだろう。
本当に会いたいと思ったら自然に行動できる……かも?!
そして大切な疎遠の人に「会いたい」と思ったら、自然に行動に移る時がくる。しかし誘えない人にとってその機会は、人生の中でなかなかくるものではない。
でもプロの疎遠屋の私でさえ、何度かは思い切って自分から連絡を取って会ったことがある。
きっと他の「誘えない人」にも、その日は突然にやってくるかもしれない。
また「この人」と思える人になら、ほんの少しだけ勇気を出してみるのもいい。最初に書いたように断られても、嫌われている訳ではないのだから。
やはり「自分がどうしたいか」が、人が動くには重要な部分なのだろう。